こんにちは、まゆなべです♪
本日は壊れた昭和眼鏡をメンテナンスに出してみたら
また使えるようになったお話です。
それでは本日もおはじめしましょう♪
骨董屋の鼈甲めがね
これです☟

買取で出た鼈甲の眼鏡。肝心のレンズがぼやけていますが…苦笑
サングラス?というピンクがかった色のレンズがついており、
かけると私には水中にいるようなキツイ度でした。笑
直接ネジ留めしてある箇所も今にも壊れそうです。
しかし、この眼鏡にどうにもこうにも惹かれていた私は
直る保証もないのだが、小遣いはたいて購入!
それにはちょっとした出逢いがあったのでした。
偶然乗ったタクシー運転手さんの思ひ出話
それは寺子屋さんで講座を開催した日の帰り道☟

あー、愉しかった!しかし荷物が多い!と、
珍しくタクシーに乗って帰宅しようと乗り込んだんですよ。
東京へ舞い戻って数日のこの時、
最近までさいたま市に住んでいた私にとって、
東京の”北区”は何度も訪れていたので、
引越しトークをきっかけに、運転手さんと神楽坂からバスも出ている北区の話題に花が咲いたんです。
それで運転手さんが、ずいぶん田端に詳しくて
(私にとって北区=赤羽だったので。埼玉県民あるある??笑)
尋ねたら田端出身の運転手さん。
同時に話に上がっていた眼鏡の話題になった時、(どんだけ話しているんだ。苦笑)
「ああ、同級生が田端駅前で眼鏡屋やっているんですよ。それ(冒頭の骨董眼鏡)も、わかんないけれども
あの人なら話聞いてくれるんじゃないかな。いい奴なんですよ。」と。
そこで私は後日、壊れたとしても、
このまま飾っておくよりも引き取ろう!と冒頭の眼鏡を購入したのでした。
記録を残す活動
もしかしたら、この眼鏡は明日壊れるか、
すっかり姿を変えてしまうかもしれない。
それは古物ならば宿命であり、いつも隣り合わせの事。
ですから、修理相談へ行く前日、
大切な古物仲間に会う機会があったので、
この眼鏡を見せたり、触れたりして語り合ったのでした。

ちょっと変形して内側に曲がっています。

仲間がかけてくれました♪
つる・ブリッジ(鼻にかかるレンズ同士をつなぐところ)部分の装飾は
”サンプラ”といって
戦前日本で流行した物☟

▲すぐわかる 日本の装身具 「飾り」と「装い」の文化史より引用
露木宏監修・執筆/宮坂敦子執筆
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プラチナに似た輝きを持つ白色合金で
昭和15年に発令された贅沢を禁ずる七・七禁令(しちしち)の下、
日本で流行したのでした。
そのサンプラがふんだんに使われているこの眼鏡に
当時の想いを感じたのかもしれません。
それから先セル(耳にかける部分)は鼈甲。
こんな恰好いいモノ、二度と出逢えない。
そう思い、仲間と共に楽しみ頭と手に焼き付けました。
「上田端」「下田端」沼
田端駅について調べていたら(☜なんでも歴史を調べたがる病)
とても面白い地なんですよ。もう止まらない、田端歴史!!笑
おおよそ駅を挟んで上田端、下田端と分かれており、
たどってみると、それは江戸時代から。
上田端は緑豊かで閑静な住宅街として
文士芸術家などに愛される土地となってゆく。
ちなみに芥川龍之介旧居地など看板が現在も残っているが、
これはざっくり分けると昔の上田端だが、
大正・昭和初期にJRがやってきて整備が進み、
”田端”という地になってからの話になるんですね☟

▲これは着物友達YO(ワイオ―)ちゃんが発見。おおお!となった。
田端は文士村と呼ばれ、駅すぐに田端文士村記念館というのもあり、
入場無料!!!
これは行かねば!!
そして眼鏡屋さんがあるのはドストライク下田端側。
下田端は下町人情の商いが盛んで、現在の北区荒川区の境目あたりをいう。
今回の眼鏡屋さんから徒歩数分のところに”下田端”バス停も発見したんですよ。
全く関係のない日の偶然の一致に感動!!!!

▲田端はさいたま市に住んでいた頃、子鉄な坊っちゃんと”尾久車庫”を見に行く場所でした。この日はついでに都バスで
鉄道模型屋さんや都電に乗りかえようとパシャリ♪停留所名に注目!”下田端”!!!震えた!!!!爆笑
現在の東田端をザザっと紹介♪(眼鏡どこへ…)
駅下には、だるまや食堂など昔ながらの個人定食屋や☟

▲マジでうまい!!400円くらいから食べられて、500円~のラーメンには
バナナまで付く相席も譲り合いもたまらん定食屋☟

▲お客さんでにぎわうカウンターと4人掛けテーブル席二つ。ピカピカの厨房が最高!
もっと進むと、ミニシアターやマニアックな模型がそろう人気店のある商店街や、
着物好きなら行ったことあるだろうか、老舗「福助堂」さんもある☟

▲15年程前、西日暮里に住んでいた頃よく来た「福助堂」さん。着物より長いお付き合いの
オムロン(キモノ葉月オーナー)と再来できたのは感慨深かった。どんだけ人を巻き込んで
田端沼にハマるのかって??笑
なんだこのJRを境に
シロガネーゼ的・上田端と寅さん的・下田端な
面白い分裂っぷり!大爆笑
もっと調べたことを語りたいところですが、眼鏡話に戻ります。
そんなこんなで眼鏡一つで
江戸時代に崖下の集落を指した「下田端」に
私はどんどん惹かれてゆくのでした。苦笑
それではいざ、下田端、じゃない、
東田端の眼鏡屋さんへレッツラゴー!!
実は老舗だった!「メガネエポック」さん

だるまや食堂から徒歩数秒。駅から3分かからない。
いざ入ってみるとニコニコ感じの良い好青年店員さんがお出迎え。
古いメガネを差し出すと、椅子に案内され、
奥から中年の男女が出てきた。
話を伺うと、親子経営で、眼鏡屋自体は創業約26,7年。
しかし元レンズの卸だったそうで、
先代から合わせると70年くらいでしょうか。
お父様にあたる男性がじっくり眼鏡をみてくれて、
いわずもがな、
「これはサンプラで鼈甲、レンズはガラスだろうか…?」
など、丁寧に見てくれて、
もし直すならばこんなリスクがありますよ、なんて話に納得。
そのうえで、もしもこの眼鏡が破損しても、
メガネエポックさんにお願いしたいな、満足するなと思い、
お願いすることにしました♪
帰ってきた眼鏡

▲全く同じ型で私の度数のレンズを作ってくれて感激!!!
ガラスの感じはもうでないですよ。しかし、縁部分を曇りにするとまだ雰囲気合うかもしれませんね。と
おっしゃっており、お願いしたのが上記レンズ。
ブリッジ挟んでの歪みなども直って戻ってきました。感動!!✨
因みに、後ろのコレ☟

スポーツ用の落下防止の滑り止めのようなモノ。
実は鼈甲なので本来は熱で曲げてフィットさせていたそう。
(昔ながらの電熱器が当時眼鏡屋にはあり、鼈甲を曲げていたのですがねぇとおっしゃていました)
しかし、熱を加えたとて、100年も経過し、
水分も飛んでいるので割れてしまうでしょうとのこと。
もちろん私の頭にはフィットせず、下を向けば落下。笑
そこで二代目が考え、これを付けたらかけられるかも?と
提案してくれたのでした♪
かける時は実用でつけることに。ううう、水分蘇らせて、熱で曲げたい。笑
まとめ
いかがでしたでしょうか。
一つの眼鏡を通じて、私は昭和も地域も旅することが出来ました。
安くて新しい流行の形をしたメガネだって、もちろん良いのです。
それでも、忘れ去られた100年前の眼鏡を通じて、
当時の想い、流行、交流、苦労、信念。
そのようなモノも丸ごと味わうのもまた面白いのでは?
それではまた♪
2025.5.17 大安 まゆなべ♪
記事に関する紹介
今回は関東の「田端」駅眼鏡屋さんでしたが、眼鏡沼にもハマり調べていたら(苦笑)私にゆかりのある福岡天神にも気になる店を発見!あまりに面白い記事でしたので貼っておきます。お近くの方はぜひ行ってみては?
元レンズ卸・老舗メガネエポックさん

山手線きってのローカル駅「田端」。徒歩3分で到着する利便性と、下町人情のスタッフさんが通いたくなるお店!眼鏡屋歴は30年弱だが、元レンズ卸で先代と合わせると創業70年は超える老舗!
4代眼鏡屋歴史・中西眼鏡店さん

福岡天神にある老舗眼鏡屋。実はブログ運営者の亡き父は福岡県出身で、祖父が住んでいたことから馴染の地域。近隣はもちろん、そうでない方もまずはHPの先代からの熱い信念を読んで欲しい